【富士山の作品について】
以前は富士山を表現しようとは思いませんでした。
理由は二つあり、一つはあまりにも身近な存在で特別なものではなく、何故か格好悪いように思えたからです。
もう一つの理由は、少し前までは若手には富士山を題材にする事はダブーとされる風潮があったからです。
誰が描いても同じ末広がりの形なので自身の画風が確立してから挑む題材だと捉え、私にはまだ早いと思っておりました。
この二点が富士山を避けていた大きな理由でした。
しかし2年前に父が急逝しました。
父は生涯に渡り富士山の写真を撮り続けていました。
はじめは、父の事を思い一つくらいは富士山を題材にした作品を作ってもいいだろうと、記念のつもりで作品を作りました。
不思議な事に今まで作ってきた作品の中で一番素直に作る事ができ、改めて富士と向き合う気持ちになりました。
日本人は千変万化の富士の山を見て、自身の人生と重ね、時には励まされ、時には共に愁い、時には希望の象徴として心の対話をしてきました。
そんな富士は今の私にはスケールの大きすぎる題材で一つ作り終えると満足できず、すぐに「つぎこそは!」という思いにかられ、自然とシリーズ化を考えるようになりました。